上達できるのはいつも「今」この瞬間だけ

こんにちは。
意識を変えるだけで上達スピードは何倍にもなりますよね〜って話しを中学生の生徒にされました。
末恐ろしい中学生。
打楽器奏者を複数人同時にレッスンする、いわゆる「パートレッスン」の機会がとてつもなく多いのですが、
じっくり音を聴いたり、アドバイスしたりするのはやはり個人に向けたほうがやりやすいんですよね。
それぞれのレベルは違いますし、個性も違えば、課題も異なります。
「個人レッスン」を受けたことがない方は一度くらいは受けてみるといいことありますよ。
レッスンの間の時間、音、言葉、全てがあなたのために存在しますから。贅沢ですよね。
かと言って吹奏楽部にお呼ばれしてレッスンを行うときはやはり「パートレッスン」が多いです。
主な理由は時間が十分でないからです。
ですので「パートレッスン」している講師の方は、ほとんどみんなこう思ってます。
「みんなに向かって発言しているけど、『あなただけ』のためにアドバイスやコミュニケーションが存在していると錯覚してレッスン受けてほしい。」と。
けどね難しいんです。頭で思おうとしたって、集中力とか心とか。難しいんです。
これがまた打楽器だとさらに難しいのです。
なぜなら管楽器パートと打楽器パートのレッスンではおおおおきな違いがあります。
それぞれの演奏する楽器が違うことです。
例えばサックスパートだったら、ソプラノサックス奏者からバリトンサックス奏者まで種類ありますが「サックス」じゃないですか。
打楽器はバスドラム奏者からシンバル奏者からトライアングル奏者です。
差がえげつないですよね。打楽器奏者から見てもえげつないんですよ。
僕が言いたいのはサックスパートや管楽器パートのレッスンが簡単だということではありませんよ。管楽器講師の皆様、誤解なさらぬよう。
僕が言いたいのは、トライアングル奏者にとって「バスドラム奏者に対してのアドバイスが自分のためになる」と生徒が感じづらいということです。
そう、つまり講師の力不足です。私の引きつけ力不足。
実際は楽器が違ってようが、「音楽」を勉強しているのだから根っこは共通しています。
曲のパートレッスンになりますと、ティンパニ一人、バスドラム一人、シンバル一人、スネアドラム一人・・・という具合になりますよね。
演奏してもらって、例えばバスドラム奏者に気付いたことがあったとします。
僕がバスドラム奏者にアドバイスしたり、代わりに叩いてみせてあげたりしている時間、はっきり言って奏者は暇です。暇そうにしてます。
我関せず、と言わんばかりスイッチオフにして立ちすくんだりしてます。
立ちすくんでる奏者にはこう言います。
「座ってていいよ。別に立っててもいいんだけど。ぶっちゃけ寝ててもいいよ。今自分にとって一番有益になる行動をとってみて。立って待つことによって後々疲れて集中できなくなるなら今座ったほうがいいと思うし、教室からでて個人練をしたほうがいいと思うならそうしていいよ。」
・・・文字におこすとめっちゃ怖い。恐怖植え付け先生。
いやいや、実際話ししてるときはラフです。全く怒りとかはないですよ。
結局は『自発的』に『今』に集中しないと、時間無駄にしてしまってることを伝えたいのです。
『今』すべきことを自分で気付いてそれに集中してほしい。
レッスン中でも練習中でも授業中でも同じことが言えます。
音楽は正解のない芸術分野です。
物質として存在しない音という「あやふや」なものを扱うからこそ、訳のわからない感情論や根性論もまかり通ってしまう世界です。
辛いことに耐えなければいけないときもあるかもしれません。
しかしそれは「辛さ」の先に「幸せ」があるからです。
決して「辛いことに耐える」ことがゴールになってしまってはいけません。
『今』のおこなっていることの未来は何ですか。
未来の自分を見つめて『今』すべきことを探してください。
キャラがブレッブレですが、この記事も僕の本心には違いないですよ。