音楽を愛せばいじめは減る

      2018/03/30

はいこんにちは。

他のブロガーに触発され、挨拶を入れてみました。

 

 

芸術の本質の一つに多様性があります。多様性があるからこそ芸術は存在します。正解や正しさが1つしか存在しない世界では芸術は成り立ちません。

人と違っていい。少数派でもいい。それぞれの表現を認められ、芸術は成り立ちます。

 

多様性を認めること。これは音楽教育において重要視すべき目的のひとつです。

 

 

そもそも日本人は協調性が強い国民。脳の作りから見ても世界的に協調性が強い国民です。

集団の協調性が強ければ強いほど、集団の足並みを乱すものに対して制裁を加えがちになります。

さらに、制裁を加えたものにはドーパミンが出て満足感に満たされます。足並みを乱すものを放置しておくと集団を崩壊させてしまう恐れがあるから、制裁を加えたり排除する行動が正義として脳で処理されてしまうのです。

しかし、この特定の正義と感じられるものが学校という場で行われると【いじめ】と呼ばれます。(近年では学校以外の場に【いじめ】という言葉は使われるようですね。)

いじめている側には罪の意識が薄く、ましてや自分の正義感で行動している場合があります。いじめを撲滅しようといろいろな自治体・団体が活動をおこなっていますが、「いじめを無くそうという意識する集団」を作ってしまってはいじめは無くなりません。なぜなら、その集団から逸脱するものが出てきたとき、「逸脱はいけないこと」として制裁を容認しやすくなるからです。

 

では、いじめを無くすにはどうしたらいいか。

 

多様性を認めること。

 

人と異なることを認める心を持っていればよい。

 

多様性を認める心を持てば、いじめは減る。

 

だから、心を育む芸術は教育にあるべきなのです。

 

さて先日、兵庫県立文化センター管弦楽団に演奏のお仕事に行ってまいりました。このオーケストラは世界数カ所で入団オーディションが行われており、主要メンバーの半数が日本人ではありません。

ふと感じましたが、このオーケストラは自由でした。自由というと漠然としすぎですが、ズレることに対する恐れが少なく、正解を探る雰囲気があまり感じられませんでした。いい意味で言ってます。

多様性を認められており、自己表現をためらわなくていい環境を作れることが素晴らしいのです。

 

どうか正解を求めず、多様性を認められる世の中に。そして世の中に溢れるている音楽が心を育むための音楽であることを願っています。

 


 - 未分類